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近藤君もふれていた話題の結婚パーティーのことです。
いいパーティーでしたよ。場所は代官山のとあるイタリアンレストラン。
料理もワインもなかなかのもの。それだけでも幸せな気持ちになります。
また、新婦が若くて初々しいのも良い。実に新緑の季節にふさわしい。
いや老らくの恋もよいものでしょうけど。
うーん、そう考えると自分くらいの歳は中途半端な気がしますな。
ちょいと話がずれますが、私がまだ子どもだった頃、テレビの安っぽい
ドラマを母親といっしょに見てたりすると、どうでもいいような場面で
泣いてたりするわけですよ、いい歳のおばはんが。
どうしちゃったんだろこの人は、なんて思ってましたが、
たぶんこんなですよ。
過去の自分の周りに起こった出来事が、安いドラマの一場面によって
よみがえってしまうわけです。
つらいこと、楽しいこと、戦争の記憶でも良いでしょう。
(うちの母ちゃんわりと年寄りです)
すでにドラマを見ながらも気持ちはそこにないのです。
たぶん心理学なんかのごく基礎的要素だろうと思いますが。
詳しい方返事下さい。
まあ、こんなこと書くには自分にも似たような事が最近あったわけで、
パーティーの栗コーダ−の演奏の1シーンですよ。
キョロちゃんを持った子どもが一番前を陣取り、かたや半分以上の方々は
演奏を気にせず話に花をさかせていらっしゃる。
そんな中、適当に演奏が進んでゆく。
いいじゃないですか。パーティー音楽のあるべき姿です。
こんな、ただそこにある空気のような存在として音を出すことは
こと日本においては難しいのです。ちょっと言い方を変えてみよう。
演奏がなげやりなわけではなく(これが重要だったりする)、
かつお客さんがこちらの音を聞くでもなく自然と耳には入っている、
それもじゃまだと思っているわけでもない。
話しに夢中になりながらも、曲が終わったら
拍手なんてしてたり。そう、よく外国映画の中で見かけるやつです。
会場には幸せな気が満ちてたりする。
ちょいと鬱ぎみだった私にはぐっときましたね。
音楽をしてて良かったと思う一幕です。
ああ、俺って空気のような音楽をしたいのか?
いや空気のように存在感をなくして音楽をしたいのか?
あ、また鬱になってきた。