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新・のんき大将のごたく from 川口義之


2001年10月28日(日)今日は休日

日本中お休みの今日、わたしも久しぶりのお休みです。
いつものように気楽な旅番組などを横目で見ながら書いてます。
どうなの、石田純一と長谷川理恵inイタリア…。

では旅行中はお休みではないのか?…微妙なところです。
なにが違うんでしょうね。考えときましょう。

いったい我々のような生き方をしているものにとって
お休みとは?その反対概念が仮に、仕事だとするならば
どの状態にいるときが我々の仕事なのか?

たとえば今こんなことをしているのは仕事か?趣味か?娯楽か?

音楽を聞いたりライブを見ている時は仕事か?

映画を見たり本を読んだりテレビを見てるときは?

じゃ、ライブの後の打ち上げは?

わたしがギターを弾いて鼻歌歌ってたりするのは?

同じことを近藤くんがしてるときは?

旅行中にメールのチェックしてるときが、一番お仕事をしてる
気分になりますねえ。仕事じゃなくてお仕事…。
仕事仕事って10回くらい書くとその文字自体が表している
ことがどんどん希薄になっていきますねえ、なんだか。

さて旅行の後はいつも用事が集中してしまって、旅を振り返ることもなく
日常は進んでいってしまうのですが、
せっかく久しぶりに初めての国にも行ったことだし、
台北の2泊3日のことでも書き留めておくべきでしょうね。

今現在の自分にとって演奏以外の唯一のわかりやすい表現ですからねえ。
本当は1人で旅をしているその時自体が、自己表現の際たるものなのだが。
表現そして仕事…様々な事柄をうまく関係付けるのはむずかしいねえ。

なぜかデザイナーのヤギヤスオ氏のことが急に頭に浮かんだ。
あ、そうか語尾の言い回しがヤギさんぽかったんだな。
(話し言葉を文字にすると変ね〜)

[link:28] 2001年10月28日(日) 15:04


2001年11月08日(木)掲ヲ板の続きっていうか移し替え

一昨日、ライオンメリィとメリーズの最終リハを終えて機材を積み込み、
いよいよ旅ははじまりま す。 まずは11/8の岡山から。
あら、今日じゃないですか!
おまけにあと5時間もしたら家を出なければなりません。

さて、岡山といえば、個人的にはスウィッチというレーベルの行った
ターン・トゥ・ザ・ポップ・ツアーという青臭いイベントのことが思い出されます。
カーネーション、グランドファーザース、B.L.ワルツ、Mr.クリスマスの4バンドが
東京以西の7都市を2バンドづつ車で逆廻りにまわって博多ですれ違うという、
楽しくも しんどいツアーでした。その時岡山ペパーランドで演奏しまして、
空いた時間には、かん蹴りか、はじめの一歩をして遊んだ記憶があります。
たしか全員20代だったような。
(あの、横銭さんや桜井さんも含めて)青春って言葉の似合う年頃でしたねえ。

思えば、この頃の付き合いから、僕が青山くんのバンドに入ったり、
太田譲さんがカーネーションに入ったりなんて流れになったのかなあ。
人生に無駄な時期はないってことか。
っていうことはちょっと無駄だったと思ってたってことか。

このころは確か1年間で百本くらいライブしてた時期ですな。
バンド3つ掛け持ちで(サポートじゃなく)毎日のようにどれか
リハスタで練習してたしね。リハやライブの掛け持ちもあったなあ。

そう書くと、していることは今もいっしょの様ですが、
サポートと自分のバンドは違いますからね。責任の質が違うというか。
人生賭けてるようなところありましたからねえ。
「ちょっと旅行に行く」とか言ったら
「ばか言ってんじゃないよ、今が一番大事な時期なのに」
とか言われたものです。
(年中一番大事な時期だったってことだよね、結局…)
今じゃ考えられません。
大事な時期は人それぞれの中にこそあるわけですからね。
人間あってのバンドです。企業じゃないんだから。

おっと話しがズレました。まあそんなわけで、
人前で演奏するっていうことにおいての基礎体力をつけるためには
おおいに役にたったわけですが、友だちを減らす事にも力を貸しましたねえ。
今でも「おまえ、ライブの前しか電話してこないじゃん!」
って言われたのがトラウマ化してますよ。
ノルマ付きのライブが大嫌いになったのがこのころ。

しか〜し、このツアーは思い出深いです。
初めて博多までいけたしね。
あれ、こんなくだりを前にも書いたような気がするなあ。

と思って初めて、昔書いたのんき大将を読み直して見たんですが、
その頃じゃないな、書いたのは。
しかしひどい文章ですな、ありゃ。
今もろくなものじゃないんですが、当時は私の汚い手書きの原稿を
ファックスで送って、それを打ち直してもらっていたんですな。
やっぱり一度活字にして確認できるっていいよね、ワープロは。
その分時間もかかるけど。

近いうちに書き直さねば…、
なんて思っているうちに3、4年たっちゃうんだよねえ。
デンバーとか行ったなあ…。テロ以前の良きアメリカじゃないですか。
今、ニューヨークやハワイがホテル付きで5〜6万円らしいね。
季節的にヨーロッパも6万くらいで行けちゃう時期ではありますが
それでもホテル付き!ですからねえ。でも行かないだろねえ。
ああますますどうでもいいことの羅列になっとるわい。
ああますますってチイトイツ作ってる途中みたいでいいな。
サンアンコくらいに伸びるのか?
…そろそろ寝よっ


[link:29] 2001年11月08日(木) 03:53


2001年12月31日(月)よいお年を

たぶん10年ぶりくらいに紅白を見ています。
いやもっと久しぶりか。たまが出てたのを見た覚えもないからなあ。
最近NHKに出向くことが多かったせいか、妙に親近感がわいているようで
あの独特な番組のトーンを楽しんでいたりします。
この1年、とくにこの1ヶ月は飛ぶように過ぎてしまい、このページの
更新もままならない状態でした。
あまりにいろいろな出来事が11月の末ころからたて続き、
精神状態もじつにHigh&Low(にん!!)
正月は再びタイの山や海で精神を解放してこようと
思ってます。
森昌子16年ぶりなのか!俺が知ってるかぎりいつも出てたような
気がする…ってことは俺って上京(おお、すてきな響き!)してから
まともに紅白みたことないのねえ。
なんか今年の紅白ってドリフ臭が強いような気がするんだけど
いつもそうなのかなあ。隠し芸大会もこんな様子なのかなあ?
そろそろ斉藤くんに会いにマンダラ2に出向こうと思います。
よいお年を。



    

[link:30] 2001年12月31日(月) 23:08


2002年01月22日(火)新春に思ったいくつかの事柄

新年、初書き込みはどうも構えてしまうなあ、なんて思っているうちに七草粥の時期も過ぎ
成人式も終わり、システマ冬まつりも終わり、あらもう節分も近くなりました。
昨日は季節はずれの雨と風。アフガン支援会議も日本のNGO抜きで始まったらしい。
こちらも波乱含みですな。
さて、今回2001〜2002は大晦日の年越しライブをするでもなく(見てたけど)
海外で年を越すでもなく過ごしました。それにはちょっとした訳があったのですが。
(以下省略)

寄稿文に関してのことを書こうとしたら思いでばなしになってしまった。
ちょっと尻切れっぽいけど栗コーダ−の新年初仕事に遅れそうなのでつづきは明日。

じゃなくて2/1に書き直されております。失礼。





[link:31] 2002年02月01日(金) 13:56


2002年02月01日(金)

つづきは明日って書いておきながら2月に入ってしまった。
あんたのあしたっていつやねん!

あまりに文章が取り留めなかったので少し書き直してみた。


新年、初書き込みはどうも構えてしまうなあ、なんて思っているうちに七草粥の時期も過ぎ
成人式も終わり、システマ冬まつりも終わり、あらもう節分も近くなりました。
昨日は季節はずれの雨と風。アフガン支援会議も日本のNGO抜きで始まったらしい。
こちらも波乱含みですな。(1/22)

なんて思っていたら国会、すごいことになりましたな。
ここまで荒れるとは…やれやれ。


さて、今回2001〜2002は大晦日の年越しライブをするでもなく(見てたけど)
海外で年を越すでもなく過ごしました。それにはちょっとした訳があったのですが。

ある程度以上の年令の方は身に覚えがあるかもしれません。平たく言うと同窓会、
ただ自主的に開く小振りなものではなく、出身高校の卒業生が一堂に会する大規模なもの。
場所もグランドホテル浜松(鳳凰の間)なんていうたいそうな所を借り切って行ったわけです。
新年恒例の行事らしいのですが、もちろんいままでは顔を出した事ありません。
今年は自分たちが卒業した年度が幹事となって取り仕切る番だったのですね。

実はずいぶん前に私のところに栗コーダ−の資料を送るように要請がありまして、
つまり、第1部のアトラクションの候補に挙げられていたんですが、けっきょく同期の女子が
フラメンコダンサー!になっておりまして、そちらが出演することに。
栗コーダ−は会場のBGMに使われるという円満な解決がみられました。

そこまではまだいいのですが、少々弱ったのはその会に合わせて編纂される冊子に
寄稿文を、とたのまれテーマは「夢かなう」ですって!絶句…。

私の卒業した年の浜松西高校は、初めての甲子園出場、バレー部、バスケット部が
インターハイ出場など、ここ数十年間ずっとお勉強学校だった中で、奇跡的に他の活躍の
目立った年でありました。わたしを含めて大学受験を無視したようなひどい遊びっぷりの
輩も多くて、たしかその年の合格者数は卒業者数の半数を下回ったんじゃなかったかな。

甲子園の2回戦で負けた8月15日までずっとばか騒ぎしてたんだからしょうがない。
たしか200人くらいが受験浪人したんだな、俺も含めて。
そりゃ先生がたも、大慌てしたものでした。

なのに卒業してから20年もたったら、いい思いでしか残ってないわけで、
先生がたよ、結局甲子園ばんざい!ですか?
そして、川口さん御活躍のようで…ですか?
(実際、在学当時の恩師にそのように声をかけられた)

当時を思い出すねえ。軽音楽部を作ろうとして人を集めて相談にいったら
受験勉強に差し障ると言われ、成績の悪いお前が代表じゃ話しにならないって
あたまごなしに潰されたねえ。
バレー、バスケットのインターハイ出場も野球の大騒ぎでどこかに飛んでっちゃうし
やっぱり同じ頑張るなら人気のあることやらなきゃ報われないのかしら?なんて
世の中ってものを痛切に感じたねえ。

で、あんなに追試、追試って追い立てられたダメ組の俺に何を書けってえの?

さて寄稿文をたのまれた他の人の名を聞くと、筆頭には現スイス大使。同期では、作家、
アナウンサー、フラメンコ舞踏家、甲子園出場時のピッチャー、とわたし。
とほほ、場違いだよなあ…と思いは高校時代の教室の廊下。

そのピッチャーMくんとわたしは近所に住んでいて、もちろん幼稚園、小学校、中学校、
そして高校とそれぞれの時期に深く浅く付き合ってきた。音楽も好きで、たしか
奴に教えてもらったレコード等もあったような気がする。
授業中に自分の下敷きに、知ってるミュージシャンの名前を書き出して競争したりね。

Mくんは子供の頃からもてもてで、バレンタインデーに山のようなチョコを貰っていたな。
頭も切れるやつで、まして運動能力たるやすごかった。
走り幅跳びなんて、普通のやつらよりも1〜2メートルも遠くに飛んじゃうんだ。

Mくんは俺たちがバンドでコンテストに出たことも、決勝に残ったことも知っていて
野球の県大会決勝の前の日には柄でもなく、俺も頑張ってくるって握手をしたり。
でもその翌日、優勝が決まってからは手の届かない存在みたいになってたなあ。

まさに県大会優勝が決まった瞬間から彼はヒーローだったわけで、
いっしょに街を歩いていると、見知らぬ女子高生たちからサインをせがまれたり…。

Mくんは県大会中全試合を無失点で投げ通し、かなりの試合では打撃でも活躍。
甲子園の1回戦も無失点記録を更新。そして立教大学の野球部へ。たしか何試合か投げたはず。
でも今にして思えば奴の目標は野球の一番じゃなかったんだよな、たぶん。
いや、全国から集まる腕自慢の中で、Mくんは自分の行き先が違うことに気がついたのか。

風のたよりで野球をやめたって聞いた。二十歳のころだったか。
でもいくら続けてたって今まで続いてたら奇跡に近い。同じ年の甲子園組でプロになって
現役でやってるのは工藤ただ1人。夢からさめる時は必ずやってくる。

あいつはいったいどんなことを書くんだろう。
なにせMくんは、はためには若くして「夢」をかなえてしまった者なのだ。

僕は、おすもうさんや体操選手が若くして引退して、第2の人生をなどと聞く度に
彼のことを思い出した。しかしこの10年ほどはそうでもなくなっていた。
だって夢を追っていた10代の頃よりも、
夢をかなえてからの人生のほうがずいぶんと長くなっているのだ。

なんの話しだっけ。そうだ、寄稿文だ。
僕は締めきりまでなやんだ挙げ句、現在の自分の状況をただ伝えることだけをした。
おめでたい席に向けての美辞麗句をならべることはどうしてもできなかった。
おそらくまわりの文章から浮いてしまうだろうと思っていたが…。

送られてきた冊子を読んだ。当時からひねくれものだった作家(奴もロック好きだったな)
は、やはりシニカルかつ少々難しく、でもカフカの寓話を引用した魅力ある文章だった。
そしてMくんは…実に事態を客観視した、力の抜けた(ようにみえる)文章であった。
たぶんいい人生を送っているのだろう。ほっとした、というよりなんだかうれしくなった。



追:宇宙飛行士ガガーリンのドキュメントを見た。
人類の夢を果たしてしまった後の彼の人生は辛そうであった。



追:僕のまわりには大学を卒業して普通に就職して、10年以上勤めて、
なぜか突然辞めて、また音楽を始めた先輩もいるし、
10年以上もバンドに人生を賭けて、今は普通に就職してる先輩もいる。
ま、そういうことなのだろう。

[link:32] 2002年02月01日(金) 14:24


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