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新・のんき大将のごたく from 川口義之


2002年02月13日(水)その頃東京中低域は名古屋でラジオ出演中

ううむ…流石、大原裕!彼はどこまで行くのだろう?いや行かないのだろう。
渋さ知らズの最初のヨーロッパツアーの時に一緒だった大原さんは、
まだ序曲に過ぎなかったようだ。

ステージが始まって3曲目に現れて、今始まったとこだろ?って言ってみたり、
(いい気持ちで酔って、こっくりこっくりしていると音が聞こえてきたらしい)
ソロの順番が廻ってきたら椅子に座ってやっぱり寝てたり、
それでいて、おもむろにパーカッションを手に取って振り始めたり
(とてもうまいのですよ!これが)
リハーサルの時に1人、ステージから降りてPAエンジニアに音の指示を始めたり、
(不破さんの音の好みとぶつかって、なんだかもめてたなあ)
しっかりしたところと、どうしようもないところが行ったり来たりしてました。

それのしてもジャズ環境の人たちって優しいよなあ。
渋谷さんのオーケストラに大原さんが飛び入りしたときに、たまたま見てたんだけど
(今思えばこりゃ貴重だ)
大原さんの気持ちの勢いだけがある一音に、みんなで整合性をとろうと懸命でした。
とくに同じトロンボーンの松本治さんが、大原さんと交互に演奏した4バースソロは
素晴らしかった。(4小節ごとにソロを交代して吹くのです)

10年近く前のことだが、大原さん率いるSights(綴りこうだっけ?)
がPit Innに出演した時に、普通に演奏している姿を見ている。
(たぶんドラムの芳垣さんを初めて見たのもその頃だったと思う)
異常な勢いのソロをとったかと思うと、おもむろにパーカッションをかかえて
振り始める、しかも顔はあくまで深刻である。全く楽しそうではない。
強いリズムと迫力ある音が、げんこつで殴る勢いで飛びかかってくるような音楽だった。



一方、昨日はわたし、昼間っから演奏していて、
その集まりは梅津和時率いるHOBO・サックス・カルテット・マイナス・ワンだった。
マイナス・ワンはもちろん、西の大原に対する、東の大酒のみ!野本和浩その人である。
こちらは無断欠席ではなく、病気治療中による外出禁止が原因だったのだが。

ライブに居れば居たで、奇妙奇天烈なパフォーマンスに対応を困ったりするし、
飲んで訳の分からない電話をかけてきて不愉快になったりもするが、
基本的には音楽にまじめな、自分のこと、自分の才能が好きで好きでたまらない
芸術家タイプの御仁である。

その野本っちゃんと初めて遇ったのは、やはり10年近く前かなあ。
タモリのバラエティ番組にトラで入った時である。
(その際、関根勤の生カンフーものまねをステージ袖で見て感動した)

彼も人の代役で来ていて、偶然二人ともテナーサックスで呼ばれていた。
なんとも勢いのある音で吹く人だなあって感心したものである。
(そういえば番組の最後に、彼はバンドの紹介のMCまで頼まれていた。
当時からめだつ風貌、かつ、しっかりしてそうにみえた。が、本番は
わりとあがってたのか、妙なことを口走っていたのが印象的だった)

東西の雄の共通点としては、二人とも関島さんのバンド仲間!ってこと以外に、
書く曲が山菜…じゃない繊細だったりする。
とても音楽のことが好きでたまらない様子も似ている。

ふたりを思うたびに、まじめってなんだろう?って考えてしまうのだ。
俺って人生をいいかげんに過ごしてるのかなあってね。

[link:33] 2002年02月13日(水) 11:22


2002年02月24日(日)日本のロック30年

今週は鈴木慶一さんに始まり早川義夫さんに終わるのであった。
(1週間を月曜始まりとする)
さらに早川さんのリハの日の翌日はあがたさんのリハだった。
あまりに慌ただしくてなんだか実感はないのだが。

先週はHOBOサックスカルテット(−1)で梅津和時さんとライブをした翌日、
渋さ知らズで片山広明さんと御一緒している。(もちろんRCつながりである)
アルトの梅津さんとはテナーで、テナーの片山さんとはアルトで共演となる。

いち音楽ファンとして、大御所たちの個性の違いを真近に感じることができる
こんな機会が多々訪れるとは、ほんの数年前には考えられなかった。
ちょっと前まではバンドの中の蛙でしたからなあ。
個人で活動を始めてよかったなあ。
(そんななかで栗コーダ−はなんとなく始まったのです)

常に緊張感をもって、こんな機会を大事にしていくべきだろう。
さあ今日は早川さんだ。あ、緊張しすぎないでいこう…。
あ、おまけに遅刻しそう。

[link:34] 2002年02月25日(月) 17:44


2002年02月25日(月)昨日の続き

で、ライブは無事終了しました。
出したい音の7割くらいしか表現できなかった気がするけど
かなり雰囲気の良い曲も数曲あり、ぜひ再演を期待したい。
本当は、いきなり音合わせをしたその場で素晴らしい表現をできるようにしたい
ところだが、力不足を感じる一幕である。

終演後、梅津さんが楽屋にいらっしゃった。
とほほ、見てたのねえ…。
演奏前に来ること知らなくてよかった。
これ以上緊張したら演奏になりませんよ。

もっと強気で演奏できる基礎能力が必要だなあ。
他のサックス奏者と一緒に演奏する度にも思うことだが。
毎日10時間くらい練習しないとなあ。

なんて思いながら寝た。
朝、電話で起こされて、そのままなんとなく冬期五輪の閉会式を見たり
HPのチェックなどをしていたらあっという間に夕方になってしまった。

一日の過ぎるのってなんて早いのでしょう。ああ、一日30分くらい練習しょっと。
せーの…ああ疲れた…指痛いわあ…なんやギターかい!

今日は寒空さんのスタパに出向くのでした。
そういえば先週は久しぶりに立川志らくさんの会を見に行ったな。
人の演奏や舞台やなんかを見に行くことにはマメなんだけどな。

もっと自分のことが好きじゃないといけないんでしょうか?はて。
練習とか、いざ始めると妙に盛り上がって、けっこうやってたりするのだが
なにせなまけものだからなあ。
よし明日は10時間練習しよう。

全く前文とは関係ないことを少しだけ。
ちょっと前に買ってあった、最新号の海外航空券ホテル&ガイドを
眺めていたら26ページに昨年台北に行った時に泊まった宿が載っていた。
(この雑誌は随分昔から購読しております。)

タイに行ったりしたら、もう少しホテルらしいところに泊まるのだが、
台北や香港は宿代がかさむのである。
ヨーロッパ的な素敵なユースも少ないし厳しいところだ。
そんな訳でつい旅先がマカオやタイに落ち着いてしまうのだな。

ああ、香港では随分、例のチョンキンマンションあたりに泊まったものだなあ。
(深夜特急で有名なとこね。わたしはもっぱら隣のミラドーマンションですが)

タイでは安宿に泊まらないんですよ、実は。バリ島もね。
随分安ドミトリーにも泊まってきたけど(300〜500円くらいね)
タイはライブの打ち上げ1回分(約3000円)でホテルに泊まれるからなあ。
ああ…こんな事書いてたら明日からでも行きたくなってきたぞ、やばい。

[link:35] 2002年02月25日(月) 18:10


2002年03月27日(水)ドーナッツの思い出(最新情報追加)

以下掲示板で続いていた話題から膨らませてみました。
カフェ・ドゥ・モンドというドーナッツ屋さんの話しです。
ID:298

こないだ京都の駅ビルで見つけた支店にはドーナッツすら
なかった。たしかにチコリ入りのコーヒーはそれだけでも
おいしいけど。なんだかなあ。


随分前に日本に支店が出来たという噂を聞き付けて、
神田にあった店を探し当てたことがあった。
まだインターネットで検索という時代ではなく、
電話帳の住所から探していったような気がする。
街の人たちにとって、それがニューオリンズにある
創業130年余にも及ぶ老舗の、たぶん世界に初めて
許した支店であることなどはどうでもよく、
悲しいほどに閑散としていた。
ベニエも作り置きで本来の魅力のかけらもなかった。

それもまたしょうがない。回転が悪ければ注文で作って
待たせるか、作り置きしか手はないのだ。
忙しいビジネスマンの多いこの街で、わざわざ番号札を
持って待たないだろう。
ガイドブックなどで大評判のお店じゃないのだから。
(一時のベルギーワッフルとかね)
しかしながらその時の切なさは前述の駅ビルのそれの
比ではない。
なにか自分の大事な記憶の上からペンキで被い尽く
されるような思いだった。

それから数年して、池袋に支店が出来た時、
あ、これはニューオリンズにあるお店とは全く意味の
違うものだなって思った。
(同資本の大ヒットチェーンドーナッツ屋と同じ
コンセプトに近づいていた)
しかし、ベニエは注文してから揚げ、かつ日本人の
食べやすい大きさ、現地の半分のサイズに変化していた。
味は同じ、おいしかった。
(後にニューオリンズに行く前と後に、
ここに寄って食べ較べてみたが遜色ない)
なによりうれしかったのが、しっかりとその街に
馴染んでいたこと。
そのお店のことを知っている人たちが、
ちょっとした時間に寄っては出ていく。実に活気がある。
妙な形で大ブレイクなんかしなくて良かった。
おかげで何年たってもこの味を楽しめそうだ。

以上のことはそれとして、このベニエ。
結局のところ自分はニューオリンズにおいて、
ドーナッツの味によってのみこれをオイシイと感じて
いたのではなかったようだ。

わたしの初めての海外旅行は1ヶ月半に及び、
その半分を過ぎたころがたぶん、深南部ルイジアナ州
ニューオリンズ。それもマルディ・グラのまっただ中。

寒い寒いニューヨーク、シカゴなんかからだんだんと
グレイハウンドバスを乗り継いでやってきたこの街は
いろんな意味でホットであった。
そんな熱い毎日の小休止に、ミシシッピ河沿いの
ドーナッツ屋はぴったりだった。
ジャクソン広場の脇で繰り広げられる
パフォーマンスを見ながら、てきぱきと働く給仕さんの
手さばきを見ながら、白い粉砂糖のたっぷりかかった
ベニエを食べる。
そして今からの行動を決めたり、
友人との次の待ち合わせを決めたり…。

自分にとってこのお店はニューオリンズへの思いの
象徴のようになっている。
あるときはたった一日のニューオリンズ滞在中に
3回食べたり。
空港にもベニエの店が出来ていてびっくりした。
(たしか別の店だったが)

さて書き疲れたのでこれから池袋に向かおうと思う。
せめて店内BGMがニュオリンズ物だと盛り上がるん
だけどなあ。
どちらかというと古き良きアメリカという大きな枠で
考えられてるんだろうな。

今、近畿日本ツーリストから出ているアメリカ南部の本
っていうムックを見ていたら
カフェ・デュ・モンドって書いてあるなあ。
フランス風に読むとこうなるのか、なるほど。
日本だとどっちの表記なんだろ?

追記

池袋店に行ってきました。表記としては、
カフェデュモンドのようですね。
ベニエのサイズはオリジナルサイズも含めて3種類に
増えてました。
パウダーシュガーの量も本店なみに戻って、
オリジナルに忠実でマル。
なんと全国60店舗なのか!
(詳しくはcafedumonde.co.jpを見ろってことか、
俺関係者じゃないよ)
池袋はスパイス2ビルの1階でしたね。
隣の地下には銀座ライオンとダブリナーズが隣り合って
いて、どちらの店でもギネス、キルケニーが飲めます。
もちろん、サッポロ生、黒生、エビス、エーデルピルス、
珍しいところではマイルドボックも飲めるんだけど。
(俺関係者じゃないよ)

今日はたまたまライオンの方からアコーディオンと
クラリネットの演奏が聞こえてきたので
そちらに入ってみました。そういえば先日水谷紹氏と
銀座7丁目のライオンに入ったら、
6人ほどのコーラス隊がかわいらしい衣装で歌ってました。どちらの店でもなぜか「は〜るのうらはらあの、
すうみいだあがあわあ〜」
って曲をやってましたね。本部からの意向なのか?

[link:36] 2003年09月09日(火) 22:35


2002年04月04日(木)追悼ライブに始まる幾つかの記憶

今日はフリーサックスのおじいちゃん、井上敬三先生の
追悼ライブがピット・インで行われていた。
個人的には過去に一度共演の可能性があったのに
スケジュールが合わなくて残念でした。
わたしが最後に見たのは法政大学。
ドラマーのHan Benninkさんが様々な人たちとデュオを
したイベントで、敬三先生が車椅子に乗って登場した時、
そして途中、車椅子から立ち上がって演奏をした
瞬間に会場が騒然となったことを憶えています。
御冥福を祈ります。

たぶん大往生ということで会場はそんなにしんみりした
雰囲気じゃなかったのだろうと推測します。
が、どうもこの追悼ライブってものがわたくし苦手で
ありまして、いままでもこういった集まりに
ほとんど出向かずにいる次第です。
出ませんかっていわれることもまあ少ないのですが。

じゃがたらというカルトなバンドの追悼的なライブが
あったときも何となく居場所がない感じで、
つい香港に逃げてしまいました。
その香港の安宿で、強烈なインパクトがあり、
そこからアジア旅行が深まっていったのですが。
その話しはまた後日するとして、その旅行で中国の桂林
という街に行き、その山水画のような世界を川下りして
いった先に陽朔というちいさな街があります。

話に聞くと今でも感じの良い街として評判らしく安心。
わたしが訪れた時ですらバックパッカーが暮らしやすい
ように、衛生放送の入ったカフェなどが出来上がっていて(ハードロック〜とか壁にイラストが書いてあったな)、
そのテレビの中でマイケル・ジャクソンが踊って
いたのが街並とのギャップも含めて印象的だった。

街から自転車を借りてしばらく走ったところに、
確か英語表記でMoon Hillとか書かれた小山があった。
その山のてっぺんのあたりが、ちょうど月の形に
くり抜かれていて、なかなかの風情だった。

そこでそれまでの旅行では持ち歩かなかったであろう
サックスを出して吹いてみた。
今の栗コーダ−でメインに使っている曲がった
ソプラノサックスだ。
記憶の中にあるいろんなメロディーの断片を吹いたり、
止めてそこに広がる景色を見たりしていたのだが、
関島さんの曲を吹いたときが一番風景に似合っていた。

帰りの自転車に乗りながらいろんなメロディを
思い浮かべてみたりした。
日本に帰ってすぐに、自分の企画のライブをすることに
なっていたので、そのためのモチーフなど思い付くと
良いな、なんて思っていた。
なにせ自分から言い出したばかりでまだ1曲も合わせて
演奏していない二人組だ。
どうなるんだろう、と不安は募っていたが、
この時の旅行でなにか吹っ切れた気がした。

ライブ自体は成功しなかったと思う。
それ1回きりで続きはなかった。
生まれて初めて、人前で自分の曲を演奏した。
曲ってほどのものじゃなかったが。
シーケンサーなどを使って演奏しようとしていたのだが、
あらゆる点で稚拙すぎた。
まだ、まわりもそんな時代ではなかった。
今ならば、むしろまたひと回りして二人で生演奏した
ほうが素敵に感じるかもね。

その後、機械に詳しくなるかと思い、
ある場所である仕事を始めたのだが、
なぜか別の方向に向かっていってしまった。
ひとつは笛、打楽器。
譜面を読むなんてことも思いもよらなかったな。
妙に沢山の楽器。ひとのライブのサポート。
ひとつはある種のジャズ。

はなしはいろんなところに向かおうとしている。
それもまた別の機会に。
そんなわけで、香港ってのは自分のここ10年くらいの
旅行人生の分岐点になった場所でありまして、
ニューヨークやニューオリンズと同様に、
定点観測を続ける重要都市となっているのでした。
香港返還の時もその安宿にいたしね。
最近はどうもマカオ中心に出向いているが、
中国への入り口としての香港にそろそろ
行く時期が来ているような気がする。


わけあってこのところブルース
(ブルーズって発音だね)を聞き続けている。
ライオン・メリィさんじゃないが、そんな音楽への
思いなんかを今度じっくりと書いてみようかな。

このところ思い出話し的なことが多いですね。
20年も前のことになると本気で思い出せないことが
増えてきている。
最近、数カ所で昔の仲間との集まりがあったのだが
まわりの人たちからこんなことがあったよなって
言われることの幾つかが完全に思い出せない。
そんな恐怖から記憶のメモがわりに書いているので、
適当に読み飛ばしてください。


[link:37] 2003年09月09日(火) 22:17


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