top profile discography schedule blog twitter facebook order other


新・のんき大将のごたく from 川口義之


2002年04月04日(木)追悼ライブに始まる幾つかの記憶

今日はフリーサックスのおじいちゃん、井上敬三先生の
追悼ライブがピット・インで行われていた。
個人的には過去に一度共演の可能性があったのに
スケジュールが合わなくて残念でした。
わたしが最後に見たのは法政大学。
ドラマーのHan Benninkさんが様々な人たちとデュオを
したイベントで、敬三先生が車椅子に乗って登場した時、
そして途中、車椅子から立ち上がって演奏をした
瞬間に会場が騒然となったことを憶えています。
御冥福を祈ります。

たぶん大往生ということで会場はそんなにしんみりした
雰囲気じゃなかったのだろうと推測します。
が、どうもこの追悼ライブってものがわたくし苦手で
ありまして、いままでもこういった集まりに
ほとんど出向かずにいる次第です。
出ませんかっていわれることもまあ少ないのですが。

じゃがたらというカルトなバンドの追悼的なライブが
あったときも何となく居場所がない感じで、
つい香港に逃げてしまいました。
その香港の安宿で、強烈なインパクトがあり、
そこからアジア旅行が深まっていったのですが。
その話しはまた後日するとして、その旅行で中国の桂林
という街に行き、その山水画のような世界を川下りして
いった先に陽朔というちいさな街があります。

話に聞くと今でも感じの良い街として評判らしく安心。
わたしが訪れた時ですらバックパッカーが暮らしやすい
ように、衛生放送の入ったカフェなどが出来上がっていて(ハードロック〜とか壁にイラストが書いてあったな)、
そのテレビの中でマイケル・ジャクソンが踊って
いたのが街並とのギャップも含めて印象的だった。

街から自転車を借りてしばらく走ったところに、
確か英語表記でMoon Hillとか書かれた小山があった。
その山のてっぺんのあたりが、ちょうど月の形に
くり抜かれていて、なかなかの風情だった。

そこでそれまでの旅行では持ち歩かなかったであろう
サックスを出して吹いてみた。
今の栗コーダ−でメインに使っている曲がった
ソプラノサックスだ。
記憶の中にあるいろんなメロディーの断片を吹いたり、
止めてそこに広がる景色を見たりしていたのだが、
関島さんの曲を吹いたときが一番風景に似合っていた。

帰りの自転車に乗りながらいろんなメロディを
思い浮かべてみたりした。
日本に帰ってすぐに、自分の企画のライブをすることに
なっていたので、そのためのモチーフなど思い付くと
良いな、なんて思っていた。
なにせ自分から言い出したばかりでまだ1曲も合わせて
演奏していない二人組だ。
どうなるんだろう、と不安は募っていたが、
この時の旅行でなにか吹っ切れた気がした。

ライブ自体は成功しなかったと思う。
それ1回きりで続きはなかった。
生まれて初めて、人前で自分の曲を演奏した。
曲ってほどのものじゃなかったが。
シーケンサーなどを使って演奏しようとしていたのだが、
あらゆる点で稚拙すぎた。
まだ、まわりもそんな時代ではなかった。
今ならば、むしろまたひと回りして二人で生演奏した
ほうが素敵に感じるかもね。

その後、機械に詳しくなるかと思い、
ある場所である仕事を始めたのだが、
なぜか別の方向に向かっていってしまった。
ひとつは笛、打楽器。
譜面を読むなんてことも思いもよらなかったな。
妙に沢山の楽器。ひとのライブのサポート。
ひとつはある種のジャズ。

はなしはいろんなところに向かおうとしている。
それもまた別の機会に。
そんなわけで、香港ってのは自分のここ10年くらいの
旅行人生の分岐点になった場所でありまして、
ニューヨークやニューオリンズと同様に、
定点観測を続ける重要都市となっているのでした。
香港返還の時もその安宿にいたしね。
最近はどうもマカオ中心に出向いているが、
中国への入り口としての香港にそろそろ
行く時期が来ているような気がする。


わけあってこのところブルース
(ブルーズって発音だね)を聞き続けている。
ライオン・メリィさんじゃないが、そんな音楽への
思いなんかを今度じっくりと書いてみようかな。

このところ思い出話し的なことが多いですね。
20年も前のことになると本気で思い出せないことが
増えてきている。
最近、数カ所で昔の仲間との集まりがあったのだが
まわりの人たちからこんなことがあったよなって
言われることの幾つかが完全に思い出せない。
そんな恐怖から記憶のメモがわりに書いているので、
適当に読み飛ばしてください。


[link:37] 2003年09月09日(火) 22:17


2002年05月28日(火)デュッセルドルフへの道。サックスを受け取りに行く

内容はまたあとで。ID:344

38.jpg 195×260 (original size)

おっきなフロントガラスごしに手を振りながら、サックスを持ってにこにこ降りてきた運転手さん

[link:38] 2002年05月28日(火) 12:39


2002年06月10日(月)ワールドカップの日々…にしたいなあ、しかし

6/7夕方。ジャーさんのリハが終わって時間ができる。
20:30からアルゼンチン×イングランド戦である。
漠然と車で新宿のスポーツパブを目指し酒を飲まない友人を呼び出す。
(なにせ6/1から酒気帯び罰金30万!)

センチュリー・ハイアット1階奥に、大画面テレビもあり
ギネスも飲める気さくな店があるのを思い出す、がすでにお客さんで一杯。
ダイエー資本のギネスやバスペールエールが飲めるパブをめざして新宿駅近くまで移動。
ところが貸しきりの文字!すぐ近くのライオン2階のアイリッシュパブに移動。
なんとか入店はできたものの、あまりの人いきれにキックオフ前に
そこでの観戦をあきらめる。

駅に向かう途中のカラオケ屋の店頭にテレビを発見。
そこで2、30人の若者たちと 街頭テレビ観戦。
警察からの指導により前半戦途中でテレビを消される。

ヨドバシカメラに急いで移動するもワールドカップは一切放送しないとの貼り紙。
もちろんアルタ前や南口の広場横の大画面テレビも放送なし。
なんで韓国のように街にテレビが溢れないんだろう。
まあ危険か(案の定、ロシアは大変なことになった)

そういえばシアター・POO?に大画面モニターがあった記憶あり。向かう。
ところがひと気なし、もちろんテレビ放送もなし。
別のアイリッシュパブに移動、ここも店の入り口まで人が溢れる。
その隣の居酒屋でワールドカップ放送中の文字。
が、レジで確認するとその部屋はすでにいっぱい。

この際すいてる中華屋か居酒屋を車で探そうと自分の家方面に移動開始。
何件か覗くが、野球やってたりテレビついてなかったり。

ふと中野通り沿いのうどん屋にテレビがあったことを思い出す。
到着、外から一瞥するとテレビを発見できず。勘違いか。

その手前にいすが5席しかない丼ぶり屋さん発見。
最後の2席を確保して無事後半戦をみることができました。

ちっちゃなテレビだし、他のお客さんも特にサッカーファンということも
なかったけど、なんだか楽しかったなあ。味のある店だ。
店主もテレビに釘づけだったので、ビール、ウーロンハイに漬け物と
冷ややっこしか頼めなかったけどね。

試合が終わるやいなや別の番組にチャンネルが変えられたので、
うどん屋に移動して落ち着いて食事。
店の入り口付近の上におおきなテレビ発見。
なあんだ。こちらはまだサッカー関連を放送していた。



6/8夕方。ロシア大使館近くのスタジオから解放される。
(もちろんそれまでは栗コーダ−ミーティング)
今日のサッカー放送はまず、イタリア×クロアチア戦。
テレビ東京の放送ってことは東京タワーから発信されてるんだよね。
近くの東京タワーに向かう。

入り口の案内係の方にテレビの見られるレストランなどを聞いてみるが、
タワー内にはありません、とのこと。
せっかくなので、イタリア戦はあきらめて新しくなったタワー見学。

展望台にレストランが出来たとの噂は勘違いで、ちょっとしたカフェ。
お酒もなし。狭いからしょうがないよね。
エッフェル塔は裾野が広いから大きなレストランなんかもできるんだな。
で、エッフェル塔のキーホルダーとお揃いのものなど買ってみる。
流石にっぽん!塔の足下に鈴が付いてる。
でもこれじゃ立たないじゃん。

夕焼けは雲が多くていまひとつ。
夜景は土曜日なのでけっこう良い。(日曜は地味になるはず)
さらに上の展望台は、ひどく混み合っていたので今回はパス。
またパリでエッフェル塔に登ったあとで来よう。

20:30のキックオフに間に合うように移動開始。
やはりタワー入り口の案内係の方に六本木までの交通手段を聞くが
歩きしかない、とのこと。まあ、歩くか…、約20分だって。
と思ってたが挫折。神谷町の駅に向かって右折。うまい、韻を踏んでる!

地下鉄駅横にドイツビールパブ & レストラン発見。
綺麗なテレビもあり、放送もするようだったがまずは六本木に向かう。
で、そちらが混んでたら戻ってこよう。
今日、車で出かけなかったのは六本木を偵察したかったからでした。

で、めざすパブに向かう。お、適度な混み具合。椅子も確保。
まずはギネスとフィッシュ&チップス。
昨日の思いをやっと果たす。やっぱりイングランド戦の日じゃ無理だよな。

今日はフルタイムしっかり楽しみました。日系ブラジル人の集団もいて
かなりの盛り上がり。流石にうまいねブラジル。
試合後は噂の六本木の警官隊を横目に帰りました。



6/9夕方。加藤さんのリハが終わって早速移動。
今日はおいしいたこ焼きの食べられるお店で、
20時から3時間ベルギービール飲み放題。
予約できなかったので直接行ってみるとぎりぎりセーフ。
ビール片手に日本戦を堪能しました。涙。










39.jpg 260×195 (original size)

左エッフェル塔 右東京タワー(願いがかなう幸福鈴付き)

[link:39] 2002年06月10日(月) 23:37


2002年06月12日(水)梅雨入りしたのかなあ…サッカー見たいなあ…

栗原さん、今頃は頑張ってる最中でしょうね。
梅雨入りで良い雲の見られる日も増えるのか、それとも減るのか?
わたしは飛行機の上から見る雲が大好きであります。
とくにまだ街並が見えるくらいの高さで飛行機が飛んでいる時、
綿菓子のようにふわふわ浮いている雲や、
夕焼けや朝焼けのころ、一面に敷き詰められた雲に光る赤。

どこの街にいても夕焼けはいいね。
旅に出かけるようになって身に付いた習慣がいくつかあって、
まず高いところに登って街を俯瞰。
夕焼けのベスト・ビューポイントを探す。
おいしい飲み物、食べ物を探す。
絵やら建物やらを見たりする。
たいていの人も旅行中しかそんなことしないよね。

逆転すると、それをしている時はどこにいても旅行気分になってしまう。
新宿で高層ビル街あたりをふらふらしてるとき、特にそんな感じがする。
しかし東京って巨大観光地だよなあ。
なにかしたいことが思い立ったら小一時間以内に現場に到着。
わたしはそんな所に住みながら、べつになにをするでもなく、
いろんな可能性を想像するのが好きです。

旅行中もガイドブックやタウン情報誌、ぴあ的なもの、
タイムアウトとかを見てその日に出来ることの時間割りを作ってたりする、
宿のベットに寝転がってイメージしているその時間が好きです。
考え疲れて、時差ぼけも加わって全てを放棄して寝てしまうこともある。
逆に一晩で4つくらいのライブをはしごしてみたりもする。
そのいづれもが自分の意志で好きにできる気楽さがよい。
人を引き摺り回すのも、その逆も辛いですからなあ。
人を引きずり回すのも、その逆も楽しいときもあるけど。

さて今月は激しくライブ月間であります。
リハと別のライブの本番が同じ日にぶつかってたり、
録音のあとでライブ本番だったり、
ゲネプロ(本番前のとおしリハ)同士の日程がぶつかって、
片方は自分抜きで行われていきなり本番当日になったり、
出られないライブになぜか名前がはいってたり…。
スケジュール調整が仕事の7割りって感じ(体感)ですなあ。

渋さ知らズに至ってはわたしのヨーロッパ入りが10日近く遅れて
グラストンバリーフェスに自力で直接合流しなくてはいけなかったり、
(ああ、10万人の人込みにスーツケースで飛び込んでいくのか…)

昨日のヨタロウさんのイベント@ラ・ママには
間に合わなくていけませんでした。今日も同じイベントがあるのですが
やはり間に合わない可能性高し。
昼間に加藤千晶さんのリハがあって、柳原さんがいよいよ参加します。
15:30からはイングランド戦まであります。見るの無理だろなあ。

14日のことぶき光さんのライブも本番飛び込み予定。20時目標。
13日のほうはリハからきちんと参加できますが。
14日は15:30から日本戦もあるし…。見たいなあ。
世の中のひとたちは韓国のひとたちのように半休をとるのかなあ。
いいなあ。なんとかならんのかな、しかし。

40.jpg 196×260

公演が始まったばかりのQueenの(音楽を使った)ミュージカル。
まだこなれてないのか、こちらの語学力のせいか、いまいち。
踊りの切れは日本の劇団四季のほうが上かも。
おもわず幕間に近くのライブハウスに移動しそうになりました。

[link:40] 2002年06月13日(木) 11:47


2002年07月31日(水)フェスティバルの日々

気がつくと今日で7月も終わりではないですか。どうも7月の記憶がないと思ったら、
この1ヶ月間は手帳と関係ない暮らしをしていたってことだな。

6/29に徹夜空けで成田空港に向かって、そのまま24時間移動の後に
イギリスはグラストンバリーの演奏会場となるテントの中で、
なぜかパーカッションのフルセットを組み立てていたりした。
サックスを吹くことも無く、準備したハモニカも触ることなく
私の英国デビューは終わったのである。
ロンドンデビューの機会があったら次はじっくりいきたいものだ。
なにせイアン・デューリーとブロックヘッズ、Dr.フィールグッドの国だ。
バート・ヤンシュやマンフレッド・マン、ゾンビーズ、キンクスの国でもある。

翌日の16、7時間連続のバス移動に始まり、かなり過酷な移動、
ライブのくり返し。
合間のケルンで4日間の大部屋共同生活、まかない付。じつに快適だった。
そのなかをシカラムータのライブが行われるブレーメンに出向くには、
かなりのエネルギーが必要だったが、結果おもしろかったので、
思いきりは吉。

行く先々のフェスティバルが実におもしろそうだったのだが、いかんせん
こちらは翌朝には移動しなくてはいけないという状況のくり返し。
1、2ヶ月かけて各地のフェスティバル見物に出かけることが出来たなら
さぞ楽しいことだろう。

渋さのみんなと別れたのちに出向いた、南仏のフェスも同じく。
実際に行ったのはアヴィニョンの演劇フェスティバルくらいだったが、
その周辺の街もかなり多様な催しを準備している様子だった。
フランス語のパンフレットから漏れ聞こえてくる情報は、私にはかなり
わかりにくいものだったのだが。

横川理彦さんのアルバムでお馴染みのタラスコンという街に泊まった。
アルルとアヴィニョンの間のこじんまりした美しい街だった。
つい宿代も奮発して三ツ星に泊まったら、パリの安宿と同じ料金だった。

夏のヨーロッパはいいね。
夜10時くらいまでは普通に昼間のように行動できて、いつの間にか
ぐったり疲れている。でも湿気がないから、つい部屋を出て街を
ふらつこうって気持ちにもなるし。
パリでは街をふらつくことに終始してしまった。
なるべくメトロではなくバスを使って地上を観察するのだ。

航空運賃の安い時期にでもまたヨーロッパに来ることができたら、
美術館なんかに入って寒さをしのぐことにしよう。
冬は食べ物がおいしくなるしね。

冬の食べ物といえば韓国もいいね。
今回はパリからの帰りに2日間ソウルに寄って骨休めができました。
ただ、あまりに疲れていたのと、それまでの飲み過ぎ、食べ過ぎが
たたってがっちりと食事がとれなかった…3回しか。

うち1回は出発直前の空港のレストランで食べたサムゲタン。
もう1回はついた当日、宿で夜中まで仮眠してしまったので、深夜に
営業している飲み屋街へ。二日酔いに効くという有名なスープを食する。
もちろんマッコリを飲みながら。
1回はつい1人なのに焼肉をたのんでしまって全部食べ切るのに必死。
韓国にも限りませんが最低4人以上で食事はしたいところですな。
冬の韓国、オンドルとまっこりツアーでも企画しますか。

今回のカジノは3時間ほどいて一進一退。
スロットマシン、ブラックジャック、カリビアンポーカーと
回ったところで帰る時間となりました。
おいしいお粥もいただけたので結局得したかな。
そのままあかすり、マッサージそして空港へ。

渋さのツアーは40前の修学旅行って感じが良かったですよ。
次回までには、もう少し体を鍛えるか、マッサージでも会得してから
いかないと腰とかやばいかも。
タイマッサージのワットポー4日間コースでも通ってみようかな。

夏の韓国、そして日本に帰ってくるとじつにアジアの一員であることを
実感する。冬場にタイや香港に遊びに行くとき。到着直後のムッとした
感じがあります。それと同じものが味わえたりして。
まだこれが1、2ヶ月続くと思うときついのだけれど。

41.jpg 260×196 (original size)

有閑パリジェンヌと過ごす、 高級ハマム(アラブ風サウナ)にて

[link:41] 2002年09月10日(火) 12:31


top profile discography schedule blog twitter facebook order other
contact us

Copyright(C)1997- The Kuricorder Quartet All rights reserved.

k-diary script by Office K.

※このページの更新情報はlastmod.txtより取得できます。