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コマンドラインからこんにちは from 関島岳郎:2003-03-02


2003年03月02日(日)貝島克彦先生のこと

 ここ数日に渡って貝島克彦追悼演奏会の話を書いたが、たぶん普通の人は貝島先生の名前を知らないだろうし、テューバを吹いている人でも若い人にはあまり名前を知られていないかもしれない。貝島先生は1960年代後半から70年代初めに天才的なテューバ奏者として活躍し、その後は教育者として後進の指導に専念された方だ。演奏家として活躍していた期間が短いので、その演奏を聞いたことがある人は少ないかもしれない。しかし、その短い期間の間に、日本のテューバ史にとって重要な出来事がいくつもあった。在学中に学生3人で日本初のテューバのリサイタルを成功させたり、もっともポピュラーなテューバの協奏曲であるヴォーン・ウィリアムスのテューバ協奏曲の日本初演をしたり、日本人のテューバ奏者として初のフルブライト給費海外留学でインディアナ州立大学に留学したり、それまでBb管中心だった日本のテューバ界に初めてC管を持ち込んだり。何より、F管を駆使して、それまで日本では鈍重な楽器と見られていたテューバのイメージを変えたことが貝島先生の演奏家として功績だろう。独特の歌い方や音色は、テューバ奏者としてはむしろ特異な存在だったと思う。

 僕も不肖の弟子の一人だが、僕が教わっていた頃には貝島先生が人前で吹くことはめったに無かった。それでも、たまにレッスンで「こういう風に吹けないか」と吹いて聞かせることはあった。ある時速い3連符のフレーズをまるでホルンのような軽やかなタンギングで吹いて見せて、それがあまりに凄かったのでレッスン後に同級生と大笑いしたことが思いだされる。

 最後に会ったのは池袋の駅でたまたま会った時だ。「この間テレビ見たぞ。」と言われた。シカラムータでニュース23に出た時のことだ。最後に見られたのが、あれか。たしか生本番でぐちゃぐちゃの演奏をした時だ。とほほ。

 ある時、貝島先生がぽつりと「腹黒いやつの方がうまくなるんだよなあ。」と漏らしたことがある。それが妙に印象に残っている。

[link:105] 2003年03月07日(金) 12:52


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