TAKERO'S REST ROOM
とほほほほ。せっかく部屋を作ってもらったのに、しばらく日記をさぼってい ましたよ。まあ、ぼちぼちといきますか。今までに書いたくだらない文章も置い といてもらうようにしましたので、そちらもよろしかったらご覧下さい。
関島岳郎の日記帳 インド編その3
2月8日 ●前日の日記へ戻る ●前々日の日記へ戻る
9時頃起きて朝食をとる。朝食後、平田とゆかり嬢と私でホテルの近所の公園
に散歩に行く。交通量の多い、やたらとほこりっぽい道を500m程歩いて行くと、公園の入り口がある。あまり手入れのされていないただ広いだけの公園で、
午前中だけあってほとんど人がいない。昨日タクシーの中から猿の群れが見えた
のだが、それも見当たらない。3人で何をするでもなく公園の中をぶらぶらと歩
く。ふと横を見ると、木陰で熱烈な抱擁をしているカップルがいる。確かインド
は男女関係に厳しく、人前で手をつないで歩くこともできないと聞いていたが‥
‥。さらに公園の中を進むと、熱烈抱擁中のカップルがそこかしこにいる。時計
を見るとまだ昼前だ。子供や家族連れは全く見かけなかった。よくわからないが、
とにかくここはそういう場所なのだろう。むりやり納得して公園を後にする。
この日はタジパレスホテルでコンサートのある日だったが、時間に余裕があっ
たので鉄道博物館に行ってみることにする。ホテルのそばまで戻り、リキシャを
つかまえて料金の交渉をする。デリーに滞在中の街中の移動には、ほとんどリキ
シャを使った。リキシャはおそらく日本語の人力車からきているのだろう。しかし、人が引っ張る本当の意味でのリキシャは、今ではカルカッタにしかないそう
だ。デリーではエンジン付きのオートリキシャが一般的で、オールドデリーに行
くと自転車タイプのサイクルリキシャがあふれていた。この日記では、特にこと
わりが無い限り、リキシャ(「地球の歩き方」ではリクシャーという表記になっ
ていたが‥‥)はオートリキシャのことである。オートリキシャはスクーターベ
ースの小型オート三輪のタクシーで、後部座席が2人掛けのシートになっている。
屋根はあるが側面は吹き抜けで、遊園地の乗り物のようでもある。どこにでもい
るし料金は普通のタクシーの半分くらいなのは良いのだが、旅行者はなかなかメ
ーターで乗せてくれないので、まず料金交渉から始めなければならないという欠
点がある。それも最初はかなりな値段を言ってくる。この時も最初は100ルピ
ーだと言われた。我々もあの手この手で値切って20ルピーで手を打つ。一般に
適正料金で乗れた時は、運転手が無口になるようだ。
鉄道博物館に着いてリキシャを降りると、それまで休んでいた蛇使いが、我々
を見て慌てて蛇笛を吹き始める。やはり観光地に蛇使いは欠かせないようだ。入
場料の5ルピーと写真機持ち込み料の10ルピーを払う時に100ルピー札を出
したら露骨に嫌な顔をされる。私の後に金を払った平田とゆかりは「今おつりが
無いから」と5ルピー札の代わりに何やら紙にサインをしたものを渡される。し
かし、その紙をどう使えば良いのかが最後までわからなかった。この日は謎なこ
とが多い日だった。
鉄道博物館はインドの鉄道の歴史を展示した博物館と、外に転がっているたく
さんの年代物の機関車や客車など、そして売店と園内一周列車によって構成され
る。展示してあるものにはそれほど興味を引かれなかったが、遠足の小学生の制
服姿が何ともかわいかった。学校によって制服は違うのだが、例えばシーク教徒
の学校の男の子は頭にチビターバンを着けていたり。
鉄道博物館からホテルに戻る前に、最近デリーにできたマクドナルドに寄って
みようかという話になり、鉄道博物館の前にいたリキシャの運転手に聞いてみる
が、誰もマクドナルドを知らなかった。それならホテルに戻ろうとシェラトンの
名前を言ってみるが、やはり誰も知らない。それでも、とにかく乗れと言う。とりあえず住所を見せてそれでなんとかなったが、リキシャの運転手は知らない場
所でもとにかく客を乗せて、それから通行人なり仲間の運転手なりに道を聞くこ
とが多いようだ。また、一人の運転手のカバーするテリトリーはかなり狭いよう
でもある。
ホテルに戻った後、夕方からタジパレスホテルでリハをして、夜にコンサート
をする。この日は1000人くらいの招待客の前で演奏したのだが、反応は良か
ったようだ。 コンサートの前に宮沢元首相があいさつをしたのには驚いたが。
「ヨーダ、ヨーダ」と増井のうるさかったこと。コンサート後のパーティーでは、
ゆかり嬢が企業人や外務省筋に人気で、帰りには名刺の束を持っていた。 さて、この日私は疲れたので、同室の平田と早めに部屋に帰ったのだが、私が
帰った後に大変な事件があったのだ。その事件とは?インド編その4に続く。