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[link:74] 2002年09月25日(水) 04:52
[link:73] 2002年09月12日(木) 02:42
さらに「あずまんが大王」のトリビュートアルバムが9月25日
に発売されるぞ。これは「あずまんが大王」のサウンドトラック
の曲を歌ものにしてしまおうという企画じゃ。主題歌を歌ってい
る、Oranges & Lemonsという上野洋子と伊藤真澄の二人のユニッ
トと栗コーダーポップスオーケストラの夢の共演じゃな。これは
どんなアルバムになるのか楽しみじゃのう。9月発売なのにレコ
ーディングはまだ始まっていないそうじゃがな。
[link:72] 2002年08月29日(木) 03:31
[link:71] 2002年08月23日(金) 00:51
[link:70] 2002年08月21日(水) 01:33
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ただ曲を順序よく並べればそれで済むかというと
そうではない。
9月20日の吉祥寺MANDA-LA2でのライブは、
今までにない斬新なプログラムでお届けしてみました(笑)。
観ている人のほとんどが、そしてメンバーさえも、
あれをハプニングと思ったかもしれないが、実はそうではない。
あれは自分の中では起こるべくして起きた予定調和だったのだ。
(つまり、本編(一部)終了後のMCは半分演技をしていたことになります。
ほんとすみませんペコリ。)
熱心な栗コーダーファンの方なら既にお気づきの通り、
ステージ上であたふたする様や、何かにつけいいわけの多いMCも
栗コーダーの大きな魅力のひとつなので(でしょ?)、
言ってみれば、その栗コーダーの十八番「あたふた」というMナンバーを
セットリストに見えないように書いていた、というわけです。
「ここであたふた」「ここでいいわけ」なんて本当にセットリストに書いて
しまったら、良い演奏、いや良いあたふたやいいわけが生まれるはずもなく、
ヤラセになってしまうので、曲順をああしておくことで、
その十八番が自ずと飛び出す状況を巧妙に作っていた、というわけです。
(はからずも本編(一部)は十七曲だった。←洒落。)
さて、ここまで読んで何か気分を害された方がいらっしゃるかもしれません。
「騙された」と。
そこでお得意のいいわけですが、
あのプログラムを作るまでにはいくつかの過程があって、
先ず、普通に曲順を考えるのに飽きていたのがひとつ。
MCでも触れたように、混雑して立ち見の人が多かったので、
あまり長いステージもどうか、と思ったことがひとつ。
(前売り状況でおおよその入場者数を事前に把握していた。)
ああすれば、二部はおまけ、という感じが強まるので、
本当に立ち見で疲れてしまった人はいざとなったら放棄しやすいかと。
それで、これはあまりいいわけにならないか、
前日の晩に曲順を考えずに、曲を作ってしまったので(苦笑)、
二時間コースのプログラムを組む余力がなかったのがひとつ。
それに二部で演奏した曲は、本当に行き当たりばったりだったので、
なかにはリハーサルでもやっていなかったぶっつけ本番の曲もあったわけで、
練られた演奏とはまたひと味違う、別のエネルギーが出ていたのではないか、
なんて自負がひとつ。
実際にアンケートにも「むしろ二部がよかった」という意見続出(苦笑)。
ちょっと計算違いがあったとすれば、その案外良すぎた二部のせいで、
長時間立ち見で疲れた人を「もう帰ろうかな」って気にさせずに
結局は疲れさせてしまったかもしれないこと。
いやー、ほんと、分かりづらいし、偉そうだし、すみません。
御来場、誠に有り難う御座いました。
※メモ: 18日 第二楽章録音、金井さん打ち合わせ
19日 リハーサル
20日 本番、打ち上げ
ここから25日更新
ちょっと上記では調子に乗って確信犯ぶりすぎたので、
誤解されないように補足。
> 起こるべくして起きた予定調和
厳密に言うと、ああなる可能性は実際には低いと思っていた。
過去のライブでも、計画していたことを本番では実際にはやらなかった
ことが何度かあったので、今回もそのケースかなって気がしていた。
が! まさか本編が一時間足らずで終わるとは。
ちょっと誤算だった。
小曲を選曲がちだったのは分かっていたが、
栗原くんのMCが予想以上にコンパクトだった。
MCの時間を読むのは難しい。
クラシックの曲だとMCがくだけにくいんだな。学習。
> 本編(一部)終了後のMCは半分演技をしていたことになります。
だからこれも演技と言ってもどっちかというと、
「うわー本当にこんな状況になっちゃったよ。やべー。
このあと収集つくのかー!? ドキドキ…」
なんて思いで話していたのでした。
確信犯とはほど遠いでしょ(笑)。
だから全然、手のひらの上で踊らせていたわけではないのです。
更に精神論まで話をもっていって考えすぎてみると、
今回のように、半分プログラミングして、半分プログラミングしていない
ものをステージでやってしまったりするのは、深層心理として、
自分のハイポジ時代のトラウマが作用しているのかもしれない。
インプロヴィゼーションとも違うこの半々な感じは、
夢判断的に言い換えれば、
構築されたものをあっさり崩してゼロからやり直し、
みたいなことを象徴、もしくはリンクしていると言えなくもなく、
そんな再構築をひたすら繰り返す作業に
当時最後まで着いていくことが出来なかった自分。
それを打破しようという思い。
ま、大袈裟に言えば、それがどーも働いているみたいなのです。
大袈裟に言えばね。
ちょっと上の説明では何か伝わり切れないと思うのだけど。
でも、それとは全く逆に単に自分がイタズラ好きというのもあって(苦笑)、
実際こうやって長々と書いていますが、
本当のことは自分でもよく分からないし、
成り行きに身を任せているところも多々あります。
なんか必要以上に長くなってしまった。