栗コーダー本とは何かを年表で考える
  〜前編〜「最初の予定日まで」
TEXT BY 関島岳郎

 最近栗コーダーカルテットのページにいらっしゃった方は、掲示板などで話題 になっている栗コーダー本とは何なのか疑問に思っている方もいらっしゃると思 います。 また、昨年の夏に5.1 周年CDをお買い求め下さった方も、そろそろ 「栗コーダー本って、何だか聞いた事あるような懐かしい響きだけど、何だった かしら?」という状態になられているのではないでしょうか。    
 かくいう我々栗コーダーカルテットも、原稿が手を離れて久しい今となっては、そもそもどのような趣旨で栗コーダー本を作り始めたのか忘れがちであります。  
 ここで、自戒の念をこめて、栗コーダー本の歴史を振り返りつつ、栗コーダー本 とは何なのかを検証してみたいと思います。首を長くしてお待ちの皆さん、本当に申し訳ありません。

1999年初頭 今年は栗コーダーカルテットも五周年だし、イベントめいた事もやろうということになり、渋谷のクラブクアトロを押さえる事にする。
 3月26日 吉祥寺MANDA-LA2にて「公開シークレットライブ」。メンバーは盛り上がっていたが、客席の評判は良くなかった。
 5月 6日 ミーティング(三宿のデニーズ)で8月のライブタイトルを「なんとなく結成以来 5.1 周年記念 JAPAN TOUR'99」と決定。 イベントめい た感じを出すために、何か物販物が欲しいねという声が出る。てぬぐい、風呂敷、うちわ、浴衣、蚊取り線香などいろいろアイデアは出る が、近藤研二の「200枚くらいなら俺が家で焼く。」の一言で過去のライブ音源などを集めたCDを作る事にする。
 5月〜6月 キョロちゃんと Jam the Housnail のサントラの録音、ロッキーチャックのコンピレーションの録音、コブラ栗原部隊などで頻繁に顔をあ わせる。その中で川口が、栗コ−ダ−の夏のツアーのツアーパンフを作りませんか、と言っている人がいるとの情報を持って来る。その人 こそが、栗コーダー本編集委員の塚田千春氏だった。
 6月21日 15:00 より渋谷らんぶるで塚田氏と初打ち合わせ。当初塚田氏より提案されたのは、ツアーパンフとして数十ページの栗コーダーカルテットのデータやインタビューを載せたものを作りましょうというものだった。データ好きの栗コーダーカルテットは、その話に飛びつく。
 6月28日 15:00 より渋谷らんぶるで塚田氏とデザイナーの竹智氏を交えたミーティング。当初から企画していた記念CDとツアーパンフの物販物と しての住み分けをどうしようかという問題が持ち上がり、結局CD付きのパンフとして販売することになる。全体のデザインは「俺にやらせて下さい。」という竹智氏の心強いお言葉。インタビュー、個人データ、全ライブセットリスト、コラム、いろいろな人のお言葉など構 想は広がり、これは100ページは必要だろうということになる。
 7月 9日 19:00 より新宿のらんぶるで、パンフレット用の個人インタビュー、関島編。インタビュアーは塚田氏と宗像氏。同時期に各メンバーへの インタビューが行なわれる。
 7月14日 15:00 より栗原宅で栗原と関島の楽器の撮影。その後、近藤宅でリコーダーの撮影とCDの編集を朝 9:00 までやる。
 7月17日 17:00 から栗原宅でアンケートの集計など地味な作業をした後、3:30 頃まで座談会。
 7月23日 16:30 からミーティング。栗原宅と三鷹の民芸にて。そろそろ原稿が出そろっていなければならないのだが、雲行きが怪しくなってきた。 8月8日に間に合わなかった場合の事を考え始める。8月8日はCDのみ販売、後日パンフを郵送することにした。 9月15日に出版延期記念ラ イブを、モロッコツアーを延期したHOBO SAX QUARTET と行うという 案が HOBO SAX QUARTET の川口から出る。この日から、「なんとなく結成以来 5.1 周年記念 JAPAN TOUR'99 CD付きパンフレット」は、 「栗コーダーカルテット5.1 周年記念本CD付き」 (略称栗コーダ ー本) になったと言えるだろう。しかもライブ会場でCDを買ってくれる人にとっては、 「栗コーダーカルテット5.1 周年記念CD豪華ブックレット付きしかも後から郵送」となった。
 7月27日 20:00 から近藤宅でCDのマスタリング。朝 6:40 頃までかかる。それでも51曲入りにしては速かっただろう。
 7月28日 この日の朝までマスタリングしていたというのに、 13:00から 5.1 周年記念ライブのリハ。この頃には、CDと栗コーダー本で手いっぱいで、ライブのことなどすっかり忘れていた。
 7月30日 5月から始まったキョロちゃん第1期録音終了。
 8月 4日 13:00 からライブリハ。皆疲れているので、ゆっくりとリハをやる。 20:00 までリハをした後、上石神井の民芸で 1:00 頃まで曲順などラ イブの打ち合わせ。誰からともなく「この時期に本作りで忙しいのがわかっていたら、ライブなんて入れるんじゃなかった。」。
 8月 6日 13:00 から 18:00 までライブの最終リハ。 その後、キョロちゃんの打ち入りパーティーへ。 打ち入りとは打ち上げの反対語か? 栗コー ダーはパーティー会場で何曲か演奏。
 8月 8日 「なんとなく結成以来 5.1 周年記念 JAPAN TOUR'99」初日、渋谷クラブクアトロ。CDは何とか間に合う。9月の延期ライブの告知をす る。ライブ後に北の家族Zで飲んだくれていた時には、9月15日の延期ライブに本が間に合わないとは夢にも思っていなかった。

 さて、最初の発売予定日である8月8日までの進行を振り返ってみました。すると、ある時期まではツアーパンフレットだったものが、ある日を境にして栗コ ーダー本と呼ばれるようになったことがわかります。栗コーダー本とはこのようなものでありました。この後の栗コーダー本の運命については、後日検証するとしましょう。



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